MR™ 開発物語

MR 開発物語

第1章より薄くて軽い
プラスチックレンズへの挑戦。

ガラスからプラスチックレンズへ。

今から40年前、1980年代の初めころの日本では、メガネと言えばガラスレンズが主流で、プラスチックレンズの普及率は10%ほどに過ぎなかった。一方、アメリカではメガネレンズの80%以上がプラスチック製で、軽くて、割れにくく安全だということから広く普及していた。その素材となったのがADC(アリルジグリコールカーボネート) という樹脂である。第二次世界大戦中に戦闘機の風防や燃料パイプ用素材として開発されたプラスチックで、1960年代半ばころからは、メガネレンズの素材としても広く使われるようになっていた。

新聞の上の眼鏡

薄いプラスチックレンズをつくりたい。

しかしこのADC樹脂にはレンズ素材として大きな欠点があった。屈折率が1.50と低いため、強度数のレンズだと、どうしても分厚く重くなってしまうのだ。そこで国内の多くの化学会社は、より薄いレンズを目指して、ADC樹脂に代わる高屈折率のレンズ素材の開発に取り組むようになった。一部の化学会社は実際に高屈折率レンズ素材の開発に成功したが、広く業界に普及する事は無かった。

悩む研究者

目標としたのは屈折率1.60、
アッベ数35以上。

1982年、三井化学は新しいレンズ素材の開発をスタートさせることになった。それまで本格的にメガネレンズ素材に取り組んだことなどなかったために蓄積された技術もなく、最初はまったく手探りの状態だった。三井化学がメガネレンズ用素材の開発目標に掲げたのは屈折率1.60以上、アッベ数35以上というものだった。アッベ数というのは、プリズム現象の起こりやすさを数値化したもので、値が大きいほどにじみが少なく、クリアなレンズとなる。屈折率が高くなるほどアッベ数は落ちるという傾向があるため、この2つはセットで達成できなければ意味がないと考えた。
後にMR-6™と呼ばれることとなる素材の開発はこうしてスタートした。初期の段階から開発を担当した坂井勝也は、当時のことを振り返って次のように回想している。

坂井 勝也氏 元事業部開発担当

坂井 勝也氏
元事業部開発担当

1970年代後半の話ですが、精密化学分野全般で新しい製品を探すようにというトップからの指示があり、当時本社の精密化学品開発室にいた私は、市場規模のあるメガネレンズ用途の可能性を探るため、大手メガネレンズメーカー数社を訪問し市場調査を実施しました。そこで、高屈折率1.60のレンズ材料に対する期待の大きさを知りました。市場調査結果をまとめ上司に研究開発テーマとして上申したところ、正式に決定し研究が開始されることになりました

坂井 勝也氏 元事業部開発担当

第2章常識外の挑戦に
最後の望みを託す。

研究は暗礁に乗り上げ、
中断の危機に面した。

レンズ素材の開発を開始した研究者たちは、先行する他社の開発事例を参考に、屈折率を上げる方法について知恵を出し合って検討を行ったが、思うような成果を出せなかった。しだいに研究テーマの順位は下がり、開発が中止される寸前まで追い込まれていった。研究人員も減らされていったが、当時の事業開発責任者は、開発を担当した坂井と研究を担当した笹川勝好の2人に、「あとは自分が責任を取るから続けるように」と研究の続行を後押しした。もしこの研究を続行せよという一言がなければ、そして2人の粘り強さがなければ研究はここで終わっていただろう。MR™シリーズが産声を上げることは永遠になかったのだ。

研究所イメージ

チオウレタン樹脂に最後の望みを託す。

研究者達は、成果の出ない状況を見て、自分たち独自の高屈折率レンズ素材の開発が必要だと考えるようになっていた。彼らが注目したのは、理論的に樹脂の屈折率を上げる事が知られていた硫黄原子の導入と、三井化学が長年にわたってベッド、シート、塗料、接着剤などの材料として技術を蓄積してきたウレタン樹脂だった。このウレタン原料のイソシアネート化合物と硫黄原子を含むメルカプト化合物は、理論上反応することが知られていたからだ。
しかしメルカプト化合物は硫黄特有の臭気があったことなどから扱い辛く、この方法は積極的には取り得ない選択だった。
また、当時チオウレタン樹脂(硫黄を含むウレタン)は弾性繊維やコート材として検討されていた例が有ったものの、光学用樹脂としてはおろか、実用化された物はなかった。研究者たちは最後の望みをかけて、なんとかここを切り口に研究をすすめられないかと考えた。こうして、独創的なチオウレタン樹脂の研究がスタートすることになった。

ウレタンの用途例

ウレタンの用途例

元総合研究所主幹研究員 笹川 勝好氏

笹川 勝好氏
元総合研究所主幹研究員

当時のことを総合研究所の研究員だった笹川は次のように語っている。

当時、チオウレタン樹脂による高屈折率レンズの開発も行き詰まっていました。
テーマとしての終了も決まりかけましたが、あきらめきれない共同研究者の金村芳信さんと私でまだ試していない化合物がないか、洗い直すことになったのです

笹川 勝好氏 元総合研究所主幹研究員

第3章そして、ついに理想のレンズ素材が誕生した。

チオウレタン系樹脂の
再検討をすすめる。

過去の研究者がまとめた研究記録、特許申請のための書類をもとに、まだ試していない化合物があるはずだと、チオウレタン系素材を再検討してみようということになった。具体的には、難黄変性の特殊イソシアネートに、さまざまなメルカプト化合物を反応させてみるのである。

議論する研究者

開発目標を達成し
5年間の苦労が報われる。

そんなある日、笹川の同僚の研究員がこんな化合物もあるよと、実験室の冷蔵庫から食品包装材の素材として検討していた化合物を出してきた。それは検討後もそのまま捨てずに保管していたものだった。笹川にしても共同研究者の金村にしても、それが重要な発見に繋がるものになるとは思ってもいなかった。研究者が残した資料にその化合物と構造式が酷似していた化合物の実験記録が残されており、激しい発泡が見られて実験は大失敗だったと記されていたからだ。この化合物も同じように激しく発泡するのではないかと思われたが、調合してみるとそうした激しい反応は起きることなく、透明に硬化していったのである。その日のうちにさまざまな光学的な検査が行われた。そして、誰も予想しなかったことが起こった。三井化学がレンズ素材開発の目標として掲げた屈折率1.60以上、アッベ数35以上という基準をあっさりとクリアしてしまったのだ。それだけでなく、比重も小さく、耐衝撃性にも優れていることもわかった。5年間の苦労が報われた瞬間だった。

レンズ検査工程

レンズ検査工程

レンズメーカーとともに
完成度を高める。

MR-6™の革新性は高く評価されたが、レンズメーカーには多くの戸惑いがあった。まず、MR-6™は初めてのウレタン系の素材であり、レンズ成型における工程はADCと大きく異なっていた。レンズメーカーからの相談、ときにはクレームはひっきりなしにあった。そのたびに先方にかけつけ、工場に入り込んで問題解決にあたった。このようなレンズメーカーに対する対応は国内外を問わず行われた。こうした対応から蓄積されていった評価技術は、その後の新製品開発のための基盤となった。MR-6™が開発されたあと、屈折率を1.67に向上させたMR-7™、さらにアッベ数と耐熱性を改善したMR-8™と、立て続けに新レンズ素材を開発することができたのは、このときの蓄積があったからだ。

MR-6™初出荷記念としてSilor of America社よりサイニングセレモニーで賜った記念品

MR-6TM初出荷記念として
Silor of America社より
サイニングセレモニーで賜った記念品

高屈折率プラスチックレンズの時代を切り開くMR™シリーズ

開発されたMR-6™は、国内外の大手レンズメーカーに次々と採用されていった。また、これら大手レンズメーカー以外にも、MR-6™を必要とするレンズメーカーには積極的に提供した。こうした顧客を限定することなく販売したことも、世界市場でスタンダードになりえた大きな理由だった。優れた技術は多くの人が利用できてこそ意味があるという三井化学の姿勢が、MR™シリーズを普及させ、高屈折率プラスチックレンズの時代を切り開いていったのである。MR-6™の開発に立ち会った金村は、MR™シリーズが成功した理由について次のように語っている。

元機能化学品開発部長 金村 芳信氏

金村 芳信氏
元機能化学品開発部長

MR-6™の開発に成功すると、屈折率の高さだけでなくアッベ数が高いことや耐衝撃性のよさが意外なほど高く評価され、確かな手ごたえを感じました。いろいろな成功要因があったと思います。ウレタンというレンズ業界になじみのなかった技術を持ち込んだわけですが、お客さまに辛抱強くつき合っていただいたこと、一緒に問題解決にあたっていただいたこと、物性がよかったこと。さらにMR-6™を上市した後、次の屈折率は1.65だとしていた業界の想定を、屈折率1.67のMR-7™で一気に超えたことも大きかったと思います。本当によい素材だったと実感しています

金村 芳信氏 元機能化学品開発部長

三井化学の研究者たちは
この成功に満足することなく、
常に新しい可能性を持つレンズ素材の開発と
研究に今日も取り組んでいる。