「アクリルは甘い?」戦火の記憶から始まったプラスチックとの邂逅
松永さん:先生は1940年生まれで、戦中・戦後の暮らしも経験されていますが、当時の生活環境の中で「素材」への興味が芽生えた原体験はありますか?
竹原先生:まずは戦時中、私が5歳だった頃の「アクリルとの出会い」でしょう。私は浜松で生まれ育ちました。当時浜松には中島飛行機があり、戦闘機の主要な製造地でしたから、街は攻撃を受け火の海になりました。
ある日、「B-29が落ちたぞ」という話を聞きつけ、私たちは5〜6人でその現場を見に行きました。そこには、兵士の姿こそありませんでしたが機体の残骸があり、コックピットのところだけが形を留めたまま落ちていました。私たちはコックピットに近づいて、「お土産に持って帰ろう」ってカケラをこっそりポケットに入れて持ち帰ったんです。
そしたら誰かが、そのカケラをザラザラしたコンクリートの表面で擦って鼻先につけて思いっきり息を吸い込んだんですね。そして、「甘いぜ」って言ったんです。あの頃は、お砂糖を口にすることができなかったので「甘い」ということを知らなかった。私は、ここで「甘いってこういうことか!」と知りました。「プラスチック=アクリル=甘さ」というのが強烈に私の中に焼き付いたのです。大人になってからもアクリルにとても執着するのは、この原体験があるからでしょう。

川島さん:先生の最初のプラスチックとの出会いは、アクリルだったのですね。5歳の時のアクリルの甘さを覚えておられて、54歳の時に執筆されたこと、先生のプラスチックへの愛を感じます。
竹原先生:はい。実は最近、改めて「アクリルってすごい!」と思い直したエピソードがあります。
私が大学生の頃、沖縄に当時新しくできた水族館では、前例のないほど分厚いアクリルパネルが使われていました。あまりの珍しさに、大学の教授が「沖縄に見に行こう」と言い出し、皆で見学に行ったほどです。
その時は製法を知る術がなく「巨大な機械で押し出して作ったのだろう」と思っていました。しかし最近、あの巨大で分厚いアクリルは、ものすごい苦労をして磨き上げ、高度な糊(接着剤)で何層も固められたものだったと、テレビのニュースで知りました。
つまり、優れた糊と磨きの技術さえあれば、アクリルはどんな厚さにも、どんな形にでもなれるということですね。そして驚くべきは、これほど技術が発達した現代でも、最後の仕上げである「磨く」というのは今なお手作業だということです。この「手触り」という人間の感性は、ミクロン単位の違いさえ感じ取ることができる。デジタルやAIがこれから進化しても、人間による仕上げ作業こそが、素材を完成させるのだと思います。いくら素晴らしい素材が開発されたとしても、それを加工する技術がなければ、その素材の本当の魅力は引き出せません。そして、その魅力を出すのは人間なんです。
松永さん:おっしゃる通りだと思います。歴史を振り返っても「素材」「加工技術」「クリエイティビティ(創造性)」、この3つが揃ったときに初めて、人類にとっての「新しい何か」が「解放・民主化」されてきた側面があると考えています。例えば、石と木を組み合わせることで石器が生まれ、新石器時代へと移り変わり、農耕が始まることで「食の解放」へと繋がっていきました。その後、金属やガラス、紙が登場して交易、美しさ・モノと文化、知識の解放に繋がったと言えます。プラスチックも同様で、プラスチックという「素材」と「加工技術」、そして「クリエイティビティ」、この3つが揃ったことで「豊かさの民主化」につながったと感じます。
竹原先生:まさにその通りですね。
生活を変えた「タッパーウェア」と透明への憧れ
川島さん:日本では1958年頃ポリエチレンやポリプロピレンの製造がはじまりましたが、それまで陶器、ガラス、金属などを使っていた当時の生活者の目に、新素材「プラスチック」はどのように映ったのでしょうか?
竹原先生:ポリエチレンやポリプロピレンが生活に入ったのは、「タッパーウェア」がはじめでしょうね。タッパーウェアを知ったとき、みんなびっくりしちゃった。プラスチックって言葉さえ知らない時ですから、「こんなにふわふわしてて、水漏れしないなんてありえない!」と、その機能性と触感にびっくりしました。 当時はまだ冷蔵庫がなかったので、冬なんかにはタッパーウェアに食材を入れて、窓の桟(さん)に出してましたね(笑)。冷蔵庫があれば、もっとたくさん売れただろうと思います。
川島さん:タッパーウェアはまだ小さい頃だったので覚えてないですが、豆腐を買いに行く時はお皿を持って行って、そこに入れてもらっていましたね。
竹原先生:そうですね。だから今話題の「廃プラ」というものは当時なかった。幼少期に住んでいた家の近くにゴミ箱があったけれども、そのゴミ箱に捨てるものがなかった。だって生ゴミは埋めればいいし、廃プラもない。捨てるものがあったとしたら、紙と瓶でしたが、瓶はお金になったので、捨てるものといえば割れた瓶くらいでしたね。だから、1ヶ月経ってもそのゴミ箱には半分も溜まらなかったですね。
松永さん:今とずいぶん環境が異なりますね。先生が次に心を奪われたプラスチックの製品やデザインは何だったのでしょうか。
竹原先生:次に私が衝撃を受けたのは、ヘレナ・ルビンスタインの家のことですね。彼女はユダヤ系の女性で、アメリカで自ら化粧品を作り上げ、一代で帝国を築いた先駆者です。その後フランスへ移住し、マルセイユを経てパリへと拠点を移しました。彼女がパリで選んだ住まいは、一番の一等地のそれは素晴らしいお屋敷でした。
彼女が亡くなった後、そのお家が年に一日だけ一般公開される機会があったんです。運よくその部屋に入ることができたのですが、そこで目にした光景は今でも忘れられません。部屋の真ん中に鎮座していたのは、アクリルで作られた「透明なベッド」でした。しかも、ベッド本体だけでなく、その周囲のしつらえもすべて透明に統一されていました。
彼女が透明な部屋にしたのには、やはり「透明なものへの憧れ」があったからだと思います。ヘレナ・ルビンスタイン邸のアクリルベッドは、まさにその象徴的な存在だったと言えるでしょう。
映画と哲学の視点から捉えるプラスチック勃興期
松永さん:著書ではアメリカの“プラスチック・ユートピア論”や、アバンギャルド、映画『麗しのサブリナ』など文化的象徴としてのプラスチックも描かれていますが、こうした文化潮流をどう分析されていますか?
竹原先生:実は映画『麗しのサブリナ』の背景には化学メーカー「デュポン」の存在があります。つまり、デュポンがスポンサーとして入り、映画を作らせていたということですね。みんな映画を見ますから、「プラスチックは新しくて良いものだ」というイメージがつきます。実際に、いろんな場面でプラスチックやプラスチック業界の話が散りばめられており、皆さんの中で安心や信頼という印象に繋がったのだと思います。『麗しのサブリナ』だけでなく、おそらく『ローマの休日』にもデュポンは絡んでいるのではないか、と私はみています(笑)。
川島さん:1954年制作の『麗しのサブリナ』はオードリー・ヘップバーンが主役で有名ですが、『プラスチックは物語の名脇役を演じている』という先生独特の表現はインパクトがあります。プラスチックに焦点を当てて映画を観ながら、ピストルの銃弾にびくともしない透明なプラスチックの板や、ハンモックに使用されている素材について、それぞれ5つの候補を挙げて考察・解析されたこと、いずれも常に様々な素材に向き合っておられる先生ならではの着眼点ですね。その他に映画とプラスチックに関連して特に印象に残っている作品はありますか?

竹原先生:『2001年宇宙の旅』ですね。作中には「プラスチック万歳」と感じるシーンも多いです。使っている食器も着ているものも家具も、ほとんどがプラスチックでできています。宇宙ステーションの中で乗務員たちが体を鍛える場面がありますが、無重力空間でなぜ走れるのか、その足元をよく観察すると、通路にマジックテープ(ベルクロ)が貼ってあり、靴の裏のベルクロを引き剥がしながら走っているんです。おそらくあれはナイロンやポリエステル製でしょうね。全体のセットもプラスチックでできていました。重力に代わる機能としてベルクロを使ったというのは、非常に分かりやすい演出です。
一方で、ボーマン船長が19世紀の城のような場所にいる場面では、素材に石や木といったクラシックなものを使うことで、プラスチックの未来社会とそうでない伝統的な世界を対比させて見せている。ただ、プラスチックを「どうだ?いいものだろう」と押しつけるような見せ方ではなく、あくまで「差異がある」という描き方でした。個人的には、宇宙服が一番好きでしたね。プラスチックだとしたら何の素材だろうと考えてしまいます。
松永さん:映画の中では「未来の素材」としてプラスチックが描かれていたのですね。
竹原先生:今でこそプラスチックはありふれていますが、当時は「未来の素材」として捉えられていました。最近では、むしろプラスチックより天然素材のほうが日常生活で見つけるのが難しくなっているかもしれませんね。実際、私たちがいま着ている服のほとんどは、プラスチックから生まれた素材でしょう。着心地が良くて洗濯ができれば、素材が天然か人工かは大きな問題ではなくなりました。それほど、人工の素材の質が向上したということですね。
また、動物愛護の観点からも化学繊維への転換は加速しています。その火付け役は女優のブリジット・バルドーでしょう。彼女は、動物愛護の観点から毛皮を激しく否定し、自ら人工毛皮(フェイクファー)をまとうようになった。それがハリウッド、そして世界へと広がり「本物か偽物か」という境界線は意味をなさなくなったのです。

松永さん:フランスの社会学者のジャン・ボードリヤールは、「プラスチックなどの人工素材とそのほかの素材との間にある違いは、単に時間とともに生まれた文化的な遺産でしかない」と述べていますね。
竹原先生:そうです。彼は「客観的にみても素材とは、まさに素材そのものでしかなく、本物もなければ偽物もなく、天然素材もなければ人工素材もない。(中略)結局、素材に高貴さが伝えられてきたのは、人間の秩序に貴族的な神話のイデオロギーがあるように、文化のイデオロギーがあるだけのことだ」と語っています。そして、フランスの思想家であるロラン・バルトも「高貴な木か、安価なプラスチックかという階級はもはや消えた」と説いていました。
松永さん:素材にヒエラルキーを見出すのではなく、すべてを「同等なもの」として扱う。プラスチックは、やはり豊かさを民主化した素材だと言えますね。
現代のプラスチックをめぐる問題と未来への期待
松永さん:先ほどお話しした通り、私たちはプラスチックが「豊かさの民主化」を支えてきたと考えています。誰もが同じように豊かさを享受できる世界を作ることに、プラスチックは大きく貢献してきたのではないか、ということです。しかし今、私たちは、何十億もの人々がこれからも豊かさを享受し続けるために、一度使った資源をどう再び循環させていくか、という課題にチャレンジする局面を迎えていると考えています。

竹原先生:その通りだと思います。世間では「廃プラ」と騒がれていますが、私はあまりこの言い方が好きではありません。ただ、私たちが生み出したものに対して、どう賢く立ち向かうかという「義務」はあるでしょう。
その解決策について、私はとてもシンプルに考えています。石炭や石油が、何億年もかけて有機物が積み重なってできたのなら、その逆をやればいい。つまり、「廃プラを地中深く埋めて、1億年待ちましょう」ということです。そうすれば、それは再びエネルギー資源へと還ります。1億年が長すぎるなら、100年だっていい。エネルギーを使ってリサイクルするのではなく、地球のサイクルに一度お返しするのはどうでしょうか。
松永さん:確かに、ハワイでは溶岩の熱によってプラスチックが固まり「プラスチグロメレート」という新しい岩石のような状態になっているのが見つかっていますね。世の中の動きを考慮すれば少し過激ですが、科学的な見方をすればプラスチックの多くは炭化水素で石炭や石油のようなものなので、未来の人類のエネルギー資源となるかもしれません。
竹原先生:面白いですね。そうなると、火山国である日本が有利ですね。うまくいけば、私たちは循環したエネルギー資源を手にできるかもしれません。田舎で農業を営みながら未来の資源を作る……なんて面白い未来も見えてきますね。
それと未来に向けて、新しい素材の可能性も探るべきですね。今、私が最も注目しているのは「葉緑素(クロロフィル)」の力です。地球がなぜ緑に覆われているのか。それは植物が、太陽光と水、そして空気中の成分を使って、自らエネルギーや物質を作り出しているからです。この力を利用できれば、ものを作るのに、工場もエネルギー消費も必要ありません。実は2019年頃から、クロロフィルを使って物質を生成する研究が次々と発表されているんです。もし、エネルギーを一切使わずに「素材」を育むことができれば、全く新しいものづくりの形になるでしょう。
広い視野を持つ「素材の調理人」であれ

松永さん:最後にこれからの未来を創る研究者に向けて、素材との向き合い方についてメッセージをお願いします。
竹原先生:1人でできることには限りがあります。テーマを絞るからこそ深く追求できる。ただ今は情報が溢れすぎていて、真っ直ぐ進むのが難しい時代かもしれない。だからこそ、興味の幅を広げてください。
それはなんだっていい。プラスチックを研究しながら、文化人類学や文学、植物学、地震学、音響学……といった広い視野を持つこと。自分とは違う専門家と付き合い、広いジャンルの読書をしてください。
最近では、動物の研究者と金属の研究者が共同で薬を作るような、意外な組み合わせの研究も増えています。つまり、それが可能な時代なんです。映画でも音楽でも、何かを創る人の周りには必ず多様な専門家がいます。皆さんの周りにも、幅広いジャンルの人がいる環境を作ってください。
川島さん:「新しいモノを創るために研究者が多様な専門家と共同で取り組む環境を作っていく必要がある」というメッセージは、とても胸に刺さります。最近の論文データを見ると、例えば日本は国際的な共著論文の数が、主要国の中で10位以下という低い現状が顕著に見られています。言葉の壁もあるかもしれませんが、先生がおっしゃる通り、もっと自由に研究ができる環境を作っていく必要がありますね。新しいことに取り組むにあたって心に刻んでおくべきことはありますか。
竹原先生:言葉の壁はAIが解決してくれますから、安心してください。あとは、仕事は楽しくしないとね。きっと楽しいことばかりではないのだろうけど、でも新しい素材を作るって、すごいことだと思わない?
例えば、人々から尊敬され「みんな美味しい」って言う料理をつくる料理人は、ありとあらゆる世界中の料理を食べ歩いた末の賜物なのね。つまり、あちこち歩いて知らない世界を知り、試行錯誤を繰り返して、ようやく納得のいく味に辿り着くのです。それは、素材だって同じです。さまざまな素材を見て、試して、あらゆる可能性を追い求めた先に、「ひょっとして、これとこれを試すと面白い結果が生まれるかも?」というものが見えてくるのかもしれない。だから、あなた方は「素材の調理人」です。素材の調理人として、素材を作ることを楽しんでください。

【編集後記】
D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?(我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか)
ゴーギャンの絵画が、今なお人類の存在に哲学的な問いを投げかけるように、今回の座談会はプラスチックの素材としての価値やあり方、そしてこれから進む道について、改めて考える貴重な機会となりました。
竹原先生と三井化学の初めて出会いは1995年2月。当時、三井化学が開発・事業化を進めていた生分解性プラスチック(ポリ乳酸)「LACEA™」について、川島さんが竹原先生からヒアリングを受けたのがご縁の始まりでした。その際、竹原先生の『魅せられてプラスチック』をいただき、表見返しに「すばらしい開発を期待しています」とのメッセージを添えてサインしてくださいました。
それから30年の月日が流れた現在、地球温暖化やごみ問題といった社会課題の解決が大きなテーマとなり、プラスチックのあり方が問われる時代に直面しています。ただ、これからもプラスチックだからこそ、生み出せる価値があるはずです。
こうした状況の中、川島さんの紹介で『魅せられてプラスチック』に感銘を受けた三井化学の松永が、今回の座談会を企画。戦中戦後のプラスチック草創期を実際に体験され、素材とデザインの歴史について教鞭を執ってこられた竹原先生の視点を通じ、文化史の中でプラスチックがどのように人々の生活や価値観を形づくってきたかを理解しながら、未来のプラスチックのあり方を改めて考える機会を得ることができました。
そして、川島さんが所有する『魅せられてプラスチック』の裏見返しには、30年の時を経て、「いつもかわらず、おもしろい科・化・学を」という竹原先生の新たなメッセージが加わりました。いつだって社会の変化を起こすのは「人」。竹原先生や川島さんがそうであるように、私たち三井化学もあらゆる人との出会いを大切にしながら、「すばらしい開発による、おもしろい科・化・学」を通じ、リジェネラティブ(再生的)かつワクワクする社会の実現に挑戦し続けたいと考えています。
