石炭→石油→バイオマス・リサイクル、化学は原料転換の歴史
「化学産業は自動車や半導体、産業用ロボット、蓄電池、日用品などの原料である素材を提供することで川下産業の競争力を支える基盤であり、日本経済を支える基幹産業です」(土屋氏)
化学産業の重要性をこう表現するのは、経済産業省 製造産業局 素材産業課 課長の土屋博史氏。しかし、化学素材で川下産業を支えるが故の課題もある。それがCO₂排出量の多さだ。化学産業は産業部門において鉄鋼に次いで2番目にCO₂排出量が多く、持続可能な社会を実現していく上で、化学産業のCO₂排出量の削減は大きなテーマになっている。
この課題に化学産業はどう取り組んでいるのか。三井化学の専務執行役員でベーシック&グリーンマテリアルズ事業本部長を務める伊澤一雅氏は、「2つの大きな方向性がある」と語る。
「1つは、自社の事業活動で発生するCO₂排出量を削減すること。もう1つは、バリューチェーンを通した低炭素化の推進です。この2つの方向で貢献しなくてはいけません。そのためには、『燃料転換』と『原料転換』のアプローチが重要になってきます」(伊澤氏)
プラスチックをはじめとした化学素材の多くは、石油由来のナフサ(粗製ガソリンとも呼ばれる炭化水素)を熱分解して生み出される基礎化学品から作られる。このナフサを熱分解するため、大量の熱エネルギーが必要となるが、その燃料をメタンなどの化石燃料から、CO₂を出さない低炭素のアンモニアや水素などに転換する取り組みが「燃料転換」だ。
一方、「原料転換」とは、原料である石油由来のナフサをバイオマス由来の炭化水素(バイオマスナフサ)やバイオエタノール、リサイクル由来の炭化水素に転換するというもの。バイオマスナフサやバイオエタノールから作られたプラスチックは、バイオマスプラスチックとして既に実用化されている。
特に後者において伊澤氏は、「三井化学は原料転換の歴史」と力を込める。
「三井化学は1912年、石炭コークスの副生ガスから日本で初めて化学肥料を作り出し、資源の有効利用とともに農業の生産性を向上させ、食料不足という当時の大きな社会課題の解決に貢献したことが起源になっています。その後、1958年には日本初の石油化学コンビナートを建設し、石炭から石油への原料転換を実現してきました。
そして今、持続可能な社会の実現に向けて化石原料だけに頼らず、バイオマス原料やリサイクル原料など、カーボンニュートラルやサーキュラーエコノミー実現に貢献する再生可能な原料への転換という大きな変革期を迎えています」(伊澤氏)
現場の課題を吸い上げて国が投資戦略を策定
三井化学を始めとした化学産業は、政府が掲げる2050年カーボンニュートラルという目標の達成に向け、燃料転換や原料転換を図るべく歴史的な変革に挑んでいる真っ只中だ。その挑戦を国も後押ししている。
土屋氏は「燃料転換、原料転換には投資が必要になります。しかも、カーボンニュートラルという新しい分野への投資であり、コストは大規模になりがちです。そのサポートは、経済産業省としても重要な政策課題として捉えています」と語る。
その課題に応えるべく、国としても動き始めている。2023年7月には、GX(グリーン・トランスフォーメーション)推進法に基づく『脱炭素成長型経済構造移行推進戦略』、通称『GX推進戦略』を閣議決定。このGX推進戦略に基づき、GX実現に向けた投資促進策を具体化する『分野別投資戦略』を取りまとめた。
「『分野別投資戦略』に則り、化学産業でも具体的な支援がスタートしています。例えば、GX経済移行債を活用した投資促進策として、排出量削減を効率的に実現する技術のうち、特に産業競争力の強化・経済成長の効果が高い技術に投資支援を行います。
そのなかの1つが、<排出削減が困難な産業におけるエネルギー・製造プロセス転換の支援事業>です。具体的には、鉄鋼・化学・紙パルプ・セメントなどの素材産業の排出量削減と産業競争力強化に繋げるため、いち早い社会実装に繋がる燃料転換や原料転換における設備投資に対し資金面から支援を実施します。
こうした支援を通じ、素材産業におけるGX製品の普及拡大につなげていきたい。ただ、コストをかけてGX製品を製造しても、市場で受け入れられないと意味がありません。GX製品の市場展開に向けて極めて重要なことは、既存のサプライチェーンの枠を超えて、GX製品を創出可能となる強靭なバリューチェーンを構築し、マーケットイン型の素材や化学品の供給をさらに推進していくことだと考えています」(土屋氏)
上記の支援以外にも、税制面の支援では<戦略分野国内生産促進税制>を創設し、このうちの1つに「グリーンケミカル」が位置づけられ、生産・販売量に応じた税額控除措置が検討されている。また、技術開発面の支援では、<GI(グリーンイノベーション)基金>を活用し、三井化学も取り組みを進めている「アンモニア燃料を使用するナフサ分解炉の実用化」や「廃プラ・廃ゴムのケミカルリサイクル」、「CO2からの化学品製造」などを支援するという。
「2050年カーボンニュートラル実現に向けては、環境負荷の低減と経済成長を両立させていくことが重要です。こうした中、公正取引委員会においては、2024年4月に<グリーン社会の実現に向けた事業者等の活動に関する独占禁止法上の考え方(グリーンガイドライン)>が改定されました。
これまでは、企業が共同でCO₂排出量削減の効果が高い施策に取り組もうとしたときに、それが独禁法にあたるかどうかが1つの課題でした。今回の改定で、独禁法上の扱いがあらかじめ明確化され、事業者間で連携しやすくなっています」(土屋氏)
これらの施策は全て、現場の声を反映したものだという。
「カーボンニュートラルに向けて産業構造を変えるためにもっと他社と力を合わせたいが、これまでは独禁法の関係から難しい側面もありました。そういった現場が抱える生の悩みを産業界と経済産業省をはじめとする関係省庁が膝を付き合わせて議論した結果が政策に反映されていると感じています」(伊澤氏)
「政策は現場で使われてこそ意味があります。今後は、こうした政策を活用してもらい、産学官で連携しながら結果を出していきます」(土屋氏)
丁寧な対話で、生み出す価値をしっかりと伝える
化学産業の構造改革が求められているのは、冒頭でも触れたように「川下産業の競争力の源泉であり、日本経済を支える基幹産業」だからだ。
土屋氏は、「川上の素材産業の変革は、川下の製品の力に直結します。国の経済全体で見ても重要な位置付けです。化学産業のGXは、川下も含めた日本全体の競争力強化に必ずつながる」と語る。
川上産業の変革は川下産業に波及し、日本経済の競争力を強める。その流れを加速させるには、川下産業となるブランドオーナーの意識変化も欠かせない。そのために必要なのは発信力と対話力だ。
「発信力という意味では、CO₂削減などの環境価値を可視化し、多くの消費者に分かりやすく伝えることが重要です。その価値がブランドオーナー、そして、その先の消費者に伝わり、適正に価格転嫁できれば、結果的に川上も川下もトータルで強くなっていくと考えています。また、対話力という意味では、川上の化学産業と川下のブランドオーナーが丁寧に対話し、グリーン素材が生み出す価値を消費者の共感を得る形でしっかりと伝えていくことが重要です」(土屋氏)
また社会のグリーン化を進めていくためには、環境に配慮する消費者が望む購買行動をとれるよう、選択肢を増やすことが必要だ。まだまだバイオマスやリサイクル由来の環境配慮型商品を望む人々に対し、十分な選択肢があるわけではない。
こうした中で、三井化学は素材の側面から消費者の選択肢を増やす取り組みを進めている。
「1つ目は、バイオマスナフサを原料とした製品です。化学産業の大本の原料である炭化水素油を石油由来ナフサからバイオマスナフサに変えていく挑戦を始めています。三井化学では2021年12月から、廃食油などから作られるバイオマスナフサの活用を始めています。
これにより、石油由来の化学品やプラスチックを、その性能は石油由来製品と全く同じでありながら、マスバランス方式でバイオマス特性を付与することが可能となり、カーボンニュートラルに資する素材を提供できるようになりました。
2つ目は、リサイクル素材です。当社では2024年3月から廃プラスチックを原料とした熱分解油(炭化水素油)を原料として活用し、バイオマスと同様にマスバランス方式によるケミカルリサイクル由来の化学品・プラスチックを提供できる体制も構築しました。
今では、それぞれ40種類以上の製品をバイオマス化・ケミカルリサイクルによって提供できるところまで拡大しています。
このようにカーボンニュートラルとサーキュラーエコノミーにつながる素材の選択肢を充実させています」(伊澤氏)
2050年カーボンニュートラルに向けて、
この3年間が分水嶺となる
燃料転換や原料転換の推進、グリーンマテリアルの技術開発、持続可能な社会の実現に向けたサプライチェーン全体での対話など、着実に進む化学産業のGX。そこに国の支援も加わり、2050年カーボンニュートラルを見据えた取り組みは加速している。土屋氏は「GXは企業が成長する武器となる」と期待を込めて語る。
「これからの数年間は、2050年カーボンニュートラル実現に向けて、国としてもさまざまな施策を一段と集中的に打っていきます。2050年までに時間はありますが、まさに今が分水嶺。企業もカーボンニュートラルを意識しながら競争力の強化につなげていくきっかけを掴んでほしいと思います。
劇的な変化がすぐには見えづらいかもしれませんが、ペース配分しながら基礎体力をつける筋トレのような大事な時期です。ここで何もしなければ、筋肉が落ちてライバルと戦えなくなります」(土屋氏)
三井化学が目指す未来社会は、「環境と調和した循環型社会」「多様な価値を生み出す包摂社会」「健康・安心にくらせる快適社会」だ。伊澤氏は「こういった未来社会をカーボンニュートラルとともに実現します」と力を込める。
伊澤氏は「カーボンニュートラル実現には、自社で取り組めるものもあれば、一企業だけで解決できない課題もあります。そういった部分では、化学産業全体、そして他業種とも広く連携して、イノベーションをしっかりと進めていきたい」と語る。
また、土屋氏も「サプライチェーン全体での対話を重ね、お互いにWIN-WINな関係を築いていくことが、未来を切り拓くイノベーションのカギとなる。そしてサプライチェーンが連携して生み出した環境価値を社会実装していく上では、そのコンセプトを消費者に分かりやすく伝えていくことが重要であり、共感を生むコミュニケーションが重要になってくる」と語り、この対談は締めくくられた。
ものづくりの根幹を成す素材が変われば未来は変わる。ただ、そのために、いかにサプライチェーン全体で連携することができるか、そして消費者の共感を生むことができるか。それがカーボンニュートラルの未来を開くカギとなる。
(※本記事の掲載元:Business Insider Japan)