パリ協定2℃目標から1.5℃目標への転換と、日本のマインドチェンジ
2℃目標から1.5℃目標へ
2015年にパリ協定が採択されましたが、当初の目標は産業化前(1850~1900年の平均)と比較し「世界の平均気温の上昇を2℃より十分低く保つ」ことでした。また、この目標を達成するには、「今世紀末(2100年)までのカーボンニュートラル」が1つの目安とされていました。
しかし2018年、IPCCが「1.5℃特別報告書」(※1)を出したことで、国際的な潮流は一気に「1.5℃目標」へと傾きました。報告書によると、平均気温の上昇が2℃と1.5℃では、地域的な気候特性に明確な違いがあることなどが科学的知見として示され、より野心的な目標を設定する必要性が出てきたからです。そして1.5℃目標を目指すとなると、今世紀末ではなく「2050年まで」にカーボンニュートラルを達成しなければならない、という認識が定着しました。
※1 1.5℃特別報告書:
第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)において、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)に対し「1.5℃の地球温暖化による影響、および関連する温室効果ガスの排出経路について、2018年に特別報告書を作成すること」を招請。IPCC第48回総会(2018年10月1日-6日 韓国・仁川)において「1.5℃特別報告書」が承認・受諾された。
<IPCC 1.5℃特別報告書>

出典:環境省「IPCC 1.5℃特別報告書」
日本企業の転機とマインドチェンジ
日本は国際社会における気候変動対策のスピード感から、しばらく取り残されていました。2015年のパリ協定採択時においても、国内では「温室効果ガス排出量削減に伴うコスト増をどうするのか」、「日本はこれまで省エネを頑張ってきたからこれ以上は無理だ」という意見が主流でした。
また、エネルギー政策では、再生可能エネルギーの導入もコスト面の課題から慎重な姿勢が目立ち、石炭火力を電源構成の主軸に据える方針が維持されてきました。
その後、転機となったのは2016年から2017年にかけて、多くの日本の企業関係者が国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)を視察しに行くようになったことです。そこで、海外では気候変動対策を新たな事業機会と捉える潮流があることの認識が広がりました。企業関係者が海外から情報を集めるようになったことで、カーボンニュートラルへの対応がグローバル市場での評価基準のひとつとなり、今後、企業の信頼性や国際競争力を左右する要因になるのではないかという危機感が高まりました。こうした中で、2020年10月、日本政府が「2050年カーボンニュートラル宣言」を行ったことにより、日本企業のマインドチェンジが急速に進むことになります。
カーボンニュートラル宣言後、かつては「排出量削減はコストだ」と主張していた人々もSDGsをはじめ、サステナブル経営やESG経営、グリーンボンドなどの重要性を語るようになりました。日本は、やるとなれば一気に真剣に取り組むのが良いところです。このようにマインドチェンジしたことで、日本の気候変動問題への取り組みはようやく国際水準と足並みが揃ってきたように感じます。
日本企業が気候変動対策のイニシアチブを握るための戦略
日本の気候変動対策におけるマインドチェンジは、企業の事業戦略にも大きな変化をもたらしました。カーボンニュートラル実現に向けた取り組みを推進する上で、今後、日本企業や消費者として重要となることが想定される視点を、以下の3点に整理して解説します。
海外を追いかけるのではなく「スタンダード」を創る
日本企業は業種ごとに異なる強みを有していますが、気候変動対策が創出する新たなビジネスチャンスを掴むための共通課題は「いかに独自の技術やサービスを国際標準化し、グローバル市場に投入することができるか」です。すでに中国企業はEVや太陽光発電などの関連技術、製品、サービスを海外市場で展開し、経済成長の原動力としています。日本においても、ペロブスカイト太陽電池などの独自技術や製品を中心に、需要が見込まれる海外市場の成長を見極めながら、自国技術が優位となる規格形成(ルールメイキング)を主導することが重要です。
「オリジナルの情報」に触れる重要性
また、日本の報道だけを見ていると、国際的な潮流のニュアンスを読み違えることがあります。特に、欧州における環境法規制の動向については、正確な事実確認が必要です。
例えば、欧州は「2035年以降、ガソリンエンジン車の新車販売禁止」の方針を一部修正しましたが、これは「2035年までに新車販売の100%をゼロエミッション車(ZEV)にする」という当初の目標に対し、「残りの10%において、カーボンニュートラル燃料(合成燃料など)を使用する車両に限り販売を認める」という要件の緩和がなされたものです。決してガソリン車の容認やカーボンニュートラル方針の撤回を意味するものではありません。
しかし、国内の一部報道では「EVシフトの断念」といった、日本の自動車メーカーにとって楽観的な解釈がなされる内容を伝えていました。こうした情報の偏りは、経営判断におけるリスクとなり得るため、海外の一次情報を収集し、正確に把握することが重要です。
亀山教授
「賢い消費者」となり能動的に動く
欧州には、環境負荷の低減を付加価値と捉えて購買行動を選択する消費者の層が一定数存在します。それに対して日本は、企業のマインドチェンジは2020年に起きたものの、消費者の意識は依然として大きく変化していません。
消費者の皆さまには、まず「賢い消費者」になっていただきたいと考えています。無理のない範囲で、自分が買うものがどういう過程を経て手元に届いたのかを気にかけ、買い物をするだけでも違ってきます。
日本社会においては、自身の意見を外部へ発信する機会の少なさや、「自分1人が変わっても世の中は変わらない」という意識が見受けられます。しかし、「大きな社会変革を起こすには、まず1人ひとりが変わっていく必要がある」という視点を持ち、自発的に行動することが重要になります。最初は小さな変化かもしれませんが、そこから共感が生まれ、その輪を少しずつでも広げることができれば、社会を変える大きな原動力になります。
日本の2050年カーボンニュートラル実現に向けて
日本は従来、法的規制や行政指導を通じて環境対策を実現してきましたが、市場原理を活用した経済的手法の導入については、慎重な態度を示していました。しかし、現在は政府の「GX実行会議」などを通じ、GX-ETS(排出量取引制度)や炭素賦課金といったカーボンプライシングの導入が進められています。
本政策を通して日本の気候変動対策が一段と加速することを期待していますが、そのためには「アメとムチ(インセンティブとペナルティ)」のバランスを上手くとっていくことが重要です。補助金という「アメ」を用意するのは良いですが、現時点ではその財源となるべき「炭素賦課金」や「カーボンプライシング」という「ムチ」の管理が甘くなっているように感じています。
隣国の中国や韓国においても、すでに本格的なカーボンプライシングを導入しています。化石燃料由来のエネルギーの価格を補助金をつけてでも安価な状態に維持しようとする政策の下では、カーボンニュートラル実現に向けた各種施策は進みません。
本気で仕掛けるためには、危機感も必要です。このままでは10年、20年先のグローバルマーケットで戦えなくなる可能性があることを直視し、国の方針としてもしっかりと戦略を定めておく必要があると考えています。
オーバーシュートを見据えた「備え」の重要性
オーバーシュートという現実
<気温目標に対するオーバーシュート>

出典:国立環境研究所 IPCC AR6 WG3 解説サイト「IPCC 第6次報告書 第3作業部会 報告書『排出経路』に関する解説資料」p.9
現在、気候変動対策に関する専門家の間では「オーバーシュート」の議論が進められています。オーバーシュートとは、一定期間にわたり1.5℃の温暖化水準を超過するものの、特定の期間(例:2100年以前)に目標⽔準まで低下させることです。2024年には、世界の年平均値が初めて1.5℃より高い水準を記録しましたが、一度超えたからといって、1.5℃目標が実現不可能なわけではありません。しかし、この気温を戻すカーブを描くこと自体、今のままでは困難ではないかと多くの専門家が感じ始めています。だからこそ、今できることを一所懸命に取り組み、何とか間に合わせなければならないという切迫した状況にあります。
気候変動への備えの重要性
今後の国際情勢を予想することは容易ではありませんが、1つだけ確実なことがあります。それは、「気候変動問題は10年後、20年後もなくならない」ということです。
国際的な関心の高さには波があります。米国のトランプ政権の動向やロシア・ウクライナ情勢など、地球温暖化以外にも目を向けなければいけない問題もあります。しかし、持続的な社会を実現するためには、気候変動は世界共通の社会課題であることに変わりはなく、過去の例を見ても、その世界的な関心は定期的に戻ってきます。こうした波の中でも新たなビジネスチャンスを掴み、グローバルプレゼンスを高められる企業は、周りが無関心な間に、きっちり準備をしています。
また、このように先手を打って意思決定している企業には、共通の組織構造が見て取れます。その多くは、経営層による強力なトップダウン、あるいは熱意ある実務担当者が経営層を動かし、全社を巻き込んでいくボトムアップのいずれかです。重要なのは、その「起点」がどこであれ、最終的には経営層と現場が共通の熱量を持って連動しているという点です。「いずれやらなければいけないのだったら、今やろう」というアプローチで進めると、目標達成へのスピードと、日本企業の価値が共に高まるのではないかと考えています。