PROJECT DIARY

世界の感染症を防ぎたい。
被災地を救う、FASTAIDシリーズとは

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取材・執筆:吉田真也(CINRA)

有志の集団では、パッションが必要不可欠。「想い」がつながった協業ストーリーとは?

—ジャパンプラットフォームと三井化学だけでなく、複数社の知見やスキルが合わさって生まれたのですね。「FASTAID スウィーパータオル」の開発は、どんなことからスタートしたのでしょうか?

小美野:まずは、どんな製品を開発するか、 More Impactのメンバーとたくさんブレストを重ねました。各社が持つそれぞれの技術を共有していくなかでも、三井化学さんの「ロック&ピール®」は災害支援で活かせそうという意見に一致しました。

八木:そこから、何を2in1パッケージするかというアイデアを出し合いました。初期「FASTAID」のコンセプトで見出した社会課題と同じく、災害時に摂取できる飲食料や栄養素が良いのではないかという意見が多かった。ですが、やはり口に運ぶものだと、あらゆるハードルが高い。第1弾で得た知見やスキルがあったとしても、実現するまでが大変という懸念もありました。

—たしかに、災害時向けの飲食料プロダクトは、通常よりも衛生面の基準が高そうです。

八木:私たちは、「ロック&ピール®」を取り扱うグループ会社の三井・ダウ ポリケミカル(以下、MDP)に相談しました。すると、「普段から液体をパッケージングしている人に聞けば、何かヒントをもらえるかもしれない」と、おつき合いのある包装メーカーの方を紹介してくれました。さらに、その包装メーカーの方が充填(容器に中身を詰める)メーカーの方をつないでくれたんです。

普段の三井化学本体では知り合う機会がない、エキスパートの方々。せひMore Impactの仲間になってほしいと思いつつ、始まったばかりで人道支援活動のため資金もあまりない。それでも、活動のコンセプトやプロジェクトの構想をみなさんに説明した結果、参画いただけることになりました。

複数社が協業し、災害支援のイノベーティブな製品づくりを目指す「More Impact」

—具体的にどのように説得していったのでしょうか。

八木:直接お会いしてひたすら「熱い想い」やビジョンを伝えましたね。そして、充填メーカーの社長と語り合うなかで、「衛生的な『おしぼり』はどうでしょうか?」というアイデアをいただいたんです。材料としてもそこまで高くないし、飲料系よりもリスクは少ない。「これだ!」となり、開発を進めていきました。いろいろな縁がつながり、「FASTAID スウィーパータオル」の構想がかたちになっていきました。

—やはり有志の集団だと、熱いパッションが大事になってきますよね。

八木:むしろそれがなければ、協業はできないと思います。新しいものを生み出すときは、パッションがいちばん大事。たとえば、「想い」の部分は合わないけど、高い技術と知見を合わせ持つ企業と組むとします。しかし、販売まで何度も壁にぶち当たりますよね。

軌道修正が必要になったとき、「想いの強さ」がプロジェクトの命運を左右します。「この人たちとなら、歯を食いしばってやれる。必ず多くの人に届けたい!」と信じ合えるパッションがないと、いちから協業していくのは難しいと思います。

開発の苦労はなかった。経験豊富なスペシャリストが集結したことの利点

—想いを共有し合えている団体・企業が、More Impactに参画しているんですね。

小美野:はい。もちろん、気持ちの面だけでなく、技術的にも信頼できるプロフェッショナルばかりです。普通はひとつのプロダクトをつくるとき、大元の企業が各工程に精通した専門企業に指示を出しながら、分業型で完成させていきますよね。でも、今回はサプライチェーンの企業が一堂に会して、中立な立場で意見を出し合い、各社の強みを集結させて製品づくりを行いました。

だから、それぞれがプロダクトに対して、「自分ごと化」できたと思うんです。各専門のスペシャリストたちの想いが共鳴すれば、必然的に良いものが生まれる。この経験は、More Impactの成功体験として、今後も大事にしていきたいですね。

インドネシアで起きたスラウェシ地震の際、現地に「FASTAID スウィーパータオル」のサンプル物資を供与したときの様子

八木:振り返ってみると、開発に取り掛かってからは「苦労した」と感じることがなかったかもしれないです。それは、各社を信頼しきっていたから。どの企業の人たちも、すでに専門分野で長年にわたり、いろいろな試行錯誤を重ねたうえで、知見やスキルを得ている。だから、各社の視点で「FASTAID スウィーパータオル」のクオリティー向上を考えて提案してくれたものが、各工程において最高値であることに疑いはありませんでした。

実際、普段は分業で接点のなかった充填メーカーさんやフィルムメーカーさんの仕事を間近で見せてもらう機会も増えて、技術の高さにあらためて驚かされました。

小美野:その流れでいうと、三井化学さんが持つ素材の豊富さや化学の力は、凄まじいと思いましたよ。いろいろなシーズを持ち合わせているからこそ、世のニーズに対応できる。プロダクト開発において、シーズとニーズが噛み合わなければ、必要とされるものは生み出せませんからね。

三井化学さんと一緒なら、解決されていない社会課題の解決の糸口を今後もどんどん見つけられるかもしれない。そんな可能性を感じました。

八木さんも所属する三井化学グループのオープン・ラボラトリー活動「MOLp」。「FASTAID」シリーズもここから生まれた

八木:そう言っていただけて嬉しいです。今回のプロダクトは「ロック&ピール®」の使用が前提ではなく、あくまでも災害支援を目的にしていました。

ですので、アウトプットのアイデア次第では、違う素材も提案しながら進めるつもりでした。化学の力で多種多様な素材を生み出してきたのが弊社の強み。今後も素材力・化学力を活かしながら、ニーズや目的に柔軟に適応していきたいですね。

利益で新たなプロダクトをつくる。被災地を救うためのお金の循環とは?

—協業するうえで「想い」が大事になるとはいえ、災害支援活動はお金も重要になってくると思います。今後のMore Impactでの資金繰りについてはどうお考えですか?

小美野:資金繰りは、いちばんの課題ですね。結果的に、今回の「FASTAID スウィーパータオル」は各社持ち寄りになる部分も多かったので改善していきます。手始めとしては、「FASTAID スウィーパータオル」の売上の一部が、More Impactの活動費に入る仕組みをつくりました。

災害支援のプロダクトを生み出しながら、その売上の一部で次のものづくりに取りかかる。そのお金の循環こそが、われわれの目指すべき災害支援のかたちです。

2019年にマレーシアで行われた国際人道会議『MERCY Malaysia International Humanitarian Conference 2019』の様子

—「FASTAID スウィーパータオル」で実現したいビジョンを教えてください。

八木:直近は衛生対策に役立ててもらえるよう、引き続き介護施設、病院、清掃会社などに提供していきます。そして、コロナ禍がある程度落ち着いたら、JICA(国際協力機構)や国・自治体などの行政機関と相談しながら、災害支援のルートを拡大して提供いきたいですね。

小美野:大きな台風や地震は、残念ながらいつでも起こり得ます。さらには、コロナウイルスの完全な収束も当分先になるかもしれない。これからは、自然災害と感染症を同時に対策するプロジェクトが、ますます必要になるはず。

被災者のなかには、「自分の身は自分で守る」という意識が強い方もいますが、いざというときに手段を選べる状況じゃなければ、どうにもなりません。その選択肢として「FASTAID スウィーパータオル」が加わるよう、普及率を上げていきたいと思います。

—最後に、FASTAIDシリーズで今後つくってみたい製品はありますか?

八木:いっぱいありますよ! すでにいくつかアイデアはありますが、実現するには課題もたくさんある。More Impactのメンバーと一緒に模索していくつもりです。

小美野:あと、私たちの取り組みや「想い」に共感していただける新たなメンバーも増やしていきたいですね。これからも各社の強みを活かしながら、社会課題をひとつずつクリアしていきたいです。

PROFILE

小美野 剛TAKESHI KOMINO

1980年5月30日生まれ。
アフガニスタン、パキスタン、ミャンマー、タイなど、現地において支援業務に従事。
東日本大震災への緊急支援で特定非営利活動法人CWS Japanを設立し、理事兼事務局長を務める。
特定非営利活動法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)共同代表理事、アジア防災緊急対応ネットワーク(ADRRN)理事兼事務局長、世界人道サミット(WHS)アジア運営委員(RSG)、防災・減災日本CSOネットワーク(JCC-DRR)共同事務局、支援の質とアカウンタビリティー向上ネットワーク(JQAN)代表、などを兼務し、国内外の人道支援、防災のネットワークにおいてリーダーシップをとる。

PROFILE

八木 正TADASHI YAGI

1990年、現・三井化学株式会社に入社。
化学物質の安全性や生分解性プラスチックの評価に従事し、JISやISOの標準規格化に関与。その後、バイオマスプラスチックのマーケティングや国・自治体とのロゴ・認証制度・ルールつくりを通じてエシカルな製品を生み出していく大変さを痛感。
2013年に当時のCSR部に移り、東日本大震災被災地の南三陸町との復興に向けた共創活動や社内MOLp活動などを通じて、素材の力・化学の力でもって社会課題解決型の製品・サービスを提供し、役に立てないかを模索。現在に至る。

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