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「そのマスクで本当にウイルスを防げるの?」と、分子生物学の専門家が街中の人々を見て疑問に思ったのがきっかけで、出来上がったマスクがある。3次元マスク「θ(シータ)」だ。ウイルス除去効果はもちろん、再使用可能な本体で、装着感も良い。譲れないこだわりを追求した結果、たどり着いたのがまさしく「θ」の形状だった。
三井化学や、同社オープンラボ活動MOLpが携わったプロジェクトを掘り下げる連載「PROJECT DIARY」の第2回。今回お話をうかがったのは、「θ(シータ)」開発チームの主要メンバー3名。名古屋大学の堀 克敏教授、株式会社フレンドマイクローブの蟹江純一氏、三井化学の才本芳久だ。
わずか3か月の開発期間で、理想的なマスクを世に送り出すことができた秘訣とは? 鍵を握ったのは、「理想のマスクを絶対につくる」という熱意と行動力だった。
※本取材のインタビューはオンラインで行い、撮影はマスク着用やソーシャルディスタンスの確保を徹底するなど、コロナウイルス感染拡大防止策を施したうえで実施しています。
取材・執筆:堀川晃菜 写真:吉沢やまと 編集:吉田真也(CINRA)
何のためのマスクなのか? 最も重要なのは「感染リスクを防ぐこと」
—3次元マスク「θ(シータ)」はどのような製品なのでしょうか。
堀:マスクの本来の役割である、ウイルスや菌といった微粒子をフィルターによってブロックする役目はしっかりと担保しつつ、つけ心地と快適さを追求したマスクです。
堀:こだわった点はいろいろありますが、最も重視した点は、やはりウイルスの感染防止効果です。それに欠かせなかったのが、マスクのフィルターに用いた三井化学製の不織布です。この不織布は、ウイルス濾過効率(VFE)※と微粒子濾過効率(PFE)※が99% 以上であることが実証されています(米国Nelson Labs における試験結果)。
※フィルター部の性能試験法の種類。VFE(Virus Filtration Efficiency; ウイルス飛沫捕集(ろ過)効率試験)ではバクテリアオファージ(約1.7ミクロン)を、PFE(Particle Filtration Efficiency; 微粒子捕集(ろ過)効率試験)では約0.1ミクロンの粒子を試験粒子として使用する。
堀:さらに使用感や利便性、環境への負荷も考慮しました。本体は洗いやすい樹脂素材で再使用可能ですが、いずれ廃棄することも踏まえて生分解性樹脂を採用しています。
「θ」形状の部分は取り外せるようになっています。ここに不織布を挟み込んでセットするのですが、清潔を保つために不織布は使い捨てでなければなりません。ただし、必要となる不織布の量は、従来マスクの約10分の1におさえています。ゴミも減らせるので、環境にも優しいです。
—「θ」の開発を開始するというプレスリリースが発表されたのは、2020年5月でした。ちょうど新型コロナウイルスで一時的なマスクの供給不足に陥った頃ですが、既存品の量産ではなく、なぜ新しいマスクを開発することにしたのですか?
堀:マスク不足で布製やウレタン製など、さまざまな素材・形状のマスクが出回るようになりましたよね。街中を見ても、そういった製品をつけている人が増え始め、果たして「ウイルス感染を防ぐという本来の目的に適っているのか?」と、疑問を抱くようになりました。
マスクの着用が推奨されている現状において、咳やくしゃみなどの飛沫を多少ブロックするという観点では、何もつけないより良いと思います。ですが、微生物を研究している立場からすると、細菌ですら通り抜ける素材でウイルスが防げるとは、理屈的に思えなかったのです。
ウイルス感染防止になるのは、どんなマスクなの?
—基本的に布マスクやウレタン製のマスクなどでは、なぜウイルスを防ぎにくいのでしょうか?
堀:一般的にウイルスの大きさは数十nm(ナノメートル)から数百nmで、細菌の50分の1程度。非常に小さいので、繊維の隙間を通してしまいます。また、医療用ではない一般向けのマスクで、きちんとウイルスブロックの効果を証明できている製品は、ごく少ないのが現状です。
市販品のパッケージを見ても、ウイルス濾過効率(VFE)や微粒子濾過効率(PFE)を明記していないものが多いです。表記されていたとしても、それはマスクのフィルター(不織布)に対して試験した結果であって、マスクとして着用した状態での評価ではないケースが大半。購入時にそこまで気にする消費者も、多くはない印象です。
除菌アイテムにも言えることですが、性能を評価されたものでなくても、いまは「とりあえずこれで良いか」で売れる状況ですよね。しかし、コロナウイルスとの戦いが長期化する可能性と本来のマスクの役割を考えると、このままでは危ないと感じたのです。
—その危機感から、ウイルスをしっかりブロックするマスクをつくることにしたのですね。そこからどのように、共同開発メンバーが揃っていったのでしょうか?
堀:私は、すでに2019年春から不織布の用途開発を目的に三井化学さんと共同研究を始めていました。当初、マスクとはまったく関係のないプロジェクトを進めていたのですが、2020年5月頃にマスク開発の相談を急遽、三井化学 不織布事業部の才本さんに持ちかけまして。そこに、製造販売の主体となる株式会社フレンドマイクローブを加えました。同社は私が2017年に起業した名古屋大学発ベンチャーです。そこから、共同開発をスタートさせたという流れです。
—才本さんは急な相談を受けて、戸惑いなどなかったのでしょうか?
才本:むしろ、ちょうど私も同じようにウイルス防止のマスクをつくりたい気持ちがあったので快諾しました。もともと衛生材料用の不織布は、弊社の得意分野。マスク用の不織布も供給していました。しかし新型コロナの影響で、フル稼働で生産しても到底追いつかない状況になってしまい……。
そうしたなか、中国の他社の不織布工場では、本来マスク用でないオムツや生理用品などの不織布をマスク用として販売し始めていました。同じ不織布ですが、構造がまったく違うので、マスクのフィルターとして求められるろ過機能が十分ではないものが、市場に出回っていました。
なんとも歯がゆい思いをしていた頃、堀先生から「再使用可能でちゃんとウイルス防止効果のあるマスクをつくりましょう」という熱意に満ちた言葉が届いたのです。「感染リスクを下げる」という本来の目的に立ち返って、最適なマスクをつくろうと決意。そこからの展開は早かったですね。
たどり着いた最適な形状が「θ」だった。最短最速で理想のマスクができるまで
—実際、プロジェクトはどのように進んでいったのでしょうか。
堀:やると決めたのは2020年5月の連休前で、すぐにコンセプトを固めてゆき、5月11日には開発開始をプレスリリースで宣言しました。その反響は予想以上に大きくNHKニュースをはじめ、多くの媒体で取り上げられました。
開発当初から、重要なポイントとして掲げていたのは3つ。「ウイルス除去効果のある再使⽤可能な新型マスクの開発」「使い捨てできる不織布フィルター」「3Dプリンターで作製した顔にフィットする本体」です。ただ、この試作第1号の時点で、最終形態はまだ見えていませんでした。
—現在の「θ」に至るターニングポイントは、どこにあったのでしょう。
蟹江:われわれフレンドマイクローブがマスクの設計を担当したのですが、「θ」の形状に至るまではかなり試行錯誤を重ねました。弊社は微生物関連技術を社会実装する目的で活動するベンチャーで、マスクの設計は初挑戦。専門外である人間工学の視点なども勉強しながら、無我夢中で開発を進めていきましたね。
蟹江:設計するうえでいちばん課題だったのは、マスク本体に不織布フィルターを装着させる設計です。たとえウイルスカットの効果がある不織布を使用していたとしても、装着時に不織布にしわが寄ったり、隙間ができてしまったりすれば、ウイルスの侵入を防げませんからね。
そこでヒントを得たのが、手芸の針刺繍で用いられる木枠です。手芸の際に木製の輪に布をピンと張るように、フィルター部分だけをきれいに張ることができれば良いと考えたのです。ただ、丸枠だけでは強度が不安定だったこともあり、最終的に横棒を加えて「θ」の形状になりました。