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高級車や航空機などで使われることが多い、カーボン(炭素繊維)素材。同素材を主軸に、さまざまなライフスタイルアイテムを展開するマテリアルブランドが「hide k 1896」だ。「モノづくりには機能だけでなく、感性価値が必要」という理念のもと、日々素材の研究とプロダクトの開発を行っている。
2018年、三井化学と「hide k 1896」のブランドを運営するマテリアルシンクタンク「hide kasuga 1896」の協業プロジェクトがスタート。2020年12月には本プロジェクトで開発された名刺入れをクラウドファンディングサイトMakuakeで発売予定だ。両社が開発において重視している「感性価値」とは何なのか、そしてプロジェクトに込めた思いとは?
三井化学やオープンラボ活動「MOLp® 」のプロジェクトの歩みを掘り下げる連載「PROJECT DIARY」。今回は、「hide kasuga 1896」代表の春日秀之氏と、三井化学の新モビリティ事業開発室、近藤淳(MOLpメンバー)に話をうかがった。
※本取材は、マスク着用やソーシャルディスタンスの確保を徹底するなど、コロナウイルス感染拡大防止策を施したうえで実施しています。
取材・執筆:石塚振 撮影:豊島望 編集:吉田真也、中川真(CINRA)
素材の開発で終わりではない。一気通貫のプロジェクト
―まず、プロジェクトの内容について教えてください。
近藤: 端的にいえば、「hide kasuga 1896」の春日さんと一緒に柔らかいカーボン新素材の可能性を世の中に提示していくプロジェクトです。ただ素材をつくって終わりではなく、プロダクト開発やデザイン、販売、お客さまとのコミュニケーション、そしてブランディングなども一緒に行っています。2020年12月にクラウドファンディングで募集する予定の名刺入れもその一環です。
MOLpのメンバーでもある、三井化学新モビリティ事業開発室の近藤淳
―プロジェクトが発足したきっかけは何だったのでしょうか?
近藤: 硬いイメージのカーボンに強度や耐久性に優れた柔らかい三井化学の樹脂素材を重ねたいと考えているときに、カーボン素材を使った面白いプロダクトを手がけている春日さんが最適な素材を探されているという話を聞きつけたんです。それで、紹介していただいたのが最初のきっかけですね。
春日さんはもともと学生時代から化学を専攻していて、今もなお現役の研究者なので素材全般について深い理解をお持ちです。さらに、事業家・プロデューサ―として、柔らかいカーボン素材を使用した高品質なバッグや財布など、魅力的な最終製品をつくってマーケットに提案もされていた。一方、素材メーカーである三井化学は消費者に直接リーチするのが難しいということもあり、販売元であるブランドとの協業を模索していました。そうしたタイミングで春日さんとご縁ができ、三井化学としても何か一緒に取り組めればとお話をさせていただいて、2018年の4月にプロジェクトがスタートしました。
春日: マテリアルブランド「hide k 1896」では、これまでもカーボンに塩化ビニールなどを組み合わせた複合材でプロダクトを開発してきました。一方で三井化学さんは非常に高性能なウレタンを開発していて、新事業や新素材の可能性を模索していた。私自身もカーボンに組み合わせる新しい素材を探していたこともあり、両者の方向性が合致し、プロジェクト化していきました。
コングロマリット「hide kasugaグループ」の代表で、「hide k 1896」「BLANC BIJOU」などのブランドを運営する春日秀之氏。研究者(工学博士)としての顔も持つ
性能だけでは、他国に勝てない。素材の魅力を伝えるために必要なこととは?
―そもそも春日さんは、なぜカーボン素材に着目したのでしょうか?
春日: 以前勤めていた、大手複合材メーカーの仕事でフランスに5年ほど駐在していたのですが、当時から漠然と「カーボンで何か事業ができないか」と考えていました。
フランスに本社があるエアバスの航空機や、ドイツ、イタリアでつくられているスーパーカーにはカーボンファイバーが使われています。しかし実は、世界のカーボンファイバーの70%以上が日本でつくられているんです。ジャパンマテリアルともいえますが、日本国内ではあまり使われていなかった。
軽量かつ高級感があるカーボンの魅力を国内にもしっかり伝えることができれば、おのずと国内外での需要がさらに高まるはずだと思っていたのです。
―では、カーボンという素材の魅力を世の中に発信し、その良さを理解してもらうためには、まず何が必要だと思いましたか?
春日: 重要なのは、素材の機能だけでなく、共感や納得感を得られる「感性価値」を伝えること。これはパリ駐在時にも感じたことですが、日本は技術力で見ると世界でトップクラスです。しかし、中国や韓国もどんどん追いついてきていますし、分野によっては追い抜かれています。もはや性能だけでは勝てないことは明らかです。だからこそ、機能や性能、価格などとは違った、心と五感を揺さぶるような価値を打ち出していく必要があるのです。
近藤: 春日さんがおっしゃっている感性価値は、今回のプロジェクトでも重視しているポイントのひとつです。三井化学としても、このプロジェクトを通じて「素材」自体の価値を上げていきたい。機能だけでなく、感性価値を引き出すことで、われわれが開発しているカーボン素材全般をプロデュースしていくという意図があります。
三井化学とhide kasuga 1896の協業で生まれた新たなマテリアルブランド「&COR(アンドコル) カーボンハイブリッドシート」
モノづくりに新たな魅力を生む。「感性価値」を構成する2つの要素
―両社が製品開発で重視する感性価値とは、具体的にはどのようなものを指すのでしょうか?
春日: 感性価値を生み出すために大事なことは、その商品に「哲学やバックグラウンド、ヒストリーがあるか」、と「五感に訴えるものがあるか」の2点です。
哲学、バックグラウンド、ヒストリーはプロダクトそのものではないものの、共感できる理念や歴史、背景が付随しているか否かで、消費者はそのモノに対する愛着が変わってきます。もうひとつの要素である五感には「視・聴・嗅・味・触」の5要素がありますが、なかでも私は触感・テクスチャー(質感)が最も重要だと考えています。
私の家業の場合は、1896年に麻問屋として創業して以降、麻を再利用したイノベーションや、化学繊維を活用した事業の多角化を行ってきました。創業以来、何度か事業転換を行い、素材も時代とともに麻、ガラス繊維、炭素繊維と変遷してきました。戦前の日本の近代化に大きく貢献し、戦後も長く基幹産業であった繊維産業と、120年の歴史を持つ家業とはリンクする部分もたくさんあります。そういった「ストーリー」を踏まえ、ジャパンマテリアルともいえるカーボンを軸としたブランドをつくろうと考え、2013年に「hide k 1896」を発表しました。
春日家の年表をもとにこれまでの創業ストーリーを語る春日秀之氏
―感性価値を生み出すもう一方の要素である「五感(触感)」を表現するために、開発段階でどのような点に注力されたのですか?
近藤: 感性価値を引き出すという点において、「触感」に関しては製品開発の段階で何度も試作を繰り返しました。触感をデータ化しながら、「hide k 1896」の商品と比べてどうか、他社が出しているカーボン製品と比べてどうかといった視点で何度も試行錯誤してきました。
五感のなかでも特に「触感」によって、感性価値が生み出される
春日: 見た目はもちろん、触り心地、場合によっては匂いまで、何十回もサンプルを上げていろいろと試しましたね。触感を出すためには、カーボンだけではダメで、樹脂がなければならないのですが、今回は普段使っているものとは違う三井化学さんの樹脂が入ったことで新しい触感の素材ができています。
ただ、理想的な触感を出すためにいまもまだ試行錯誤中で、今後も改善は続けていくつもりです。
近藤: 素材開発において、ゴールはないですからね。春日さんも10年以上柔らかいカーボン素材の開発を続けてらっしゃいますが、三井化学も何十年も樹脂の開発をしています。昔から受け継いでいるものをブラッシュアップしたり、複合してコンポジット素材をつくったりを続けています。この流れはずっと続いていくし、春日さんとも一緒に新しい素材を開発していきたいと思っています。