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着ると肌をやさしく包み込み、オーダーメイドのようにフィットするシャツ。食後に膨らんだお腹に合わせ、サイズが変わるベルト。足のむくみに対応し、かたちを変える靴。そんな魔法のような商品を可能にするのが、人の体温を感知して変化する新素材「HUMOFIT®(ヒューモフィット)」だ。
じつは、もともとは素材のプロでも使い方がわからない素材だったという。しかし、そのユニークな特質に可能性を見出し、三井化学としては異例ともいえる「素材のブランディング(インブランディング)」を実施。さまざまなアプローチから、新規事業やプロダクトの開発、ブランディングなどを得意とするスタートアップスタジオの「quantum(クオンタム)」との共創でブランドイメージをつくり上げ、2020年5月にリリースされた。
三井化学や同社のオープンラボ活動「MOLp®」に関するプロジェクトの歩みを掘り下げる本連載「PROJECT DIARY」。今回は、HUMOFITの仕掛け人である三井化学の西川茂雄と、ともにブランディングに取り組むquantumのデザイン執行役員・門田慎太郎さんによる対談を実施。共創の経緯やHUMOFITのコンセプトはもちろん、素材自体をブランディングすることで生まれた新たな可能性などを語り合った。
※本取材は、マスク着用やソーシャルディスタンスの確保を徹底するなど、コロナウイルス感染拡大防止策を施したうえで実施しています。
取材・執筆:榎並紀行(やじろべえ) 写真:玉村敬太 編集:吉田真也(CINRA)
体温を感知し、とろけるように肌にフィット。新素材「HUMOFIT」とは?
MOLpメンバー(以下、MOLp):まずは「HUMOFIT」の特徴を教えてください。
西川茂雄(以下、西川):言葉で説明するよりも、まずは触ってみていただけるとわかると思います。このシートをぎゅっと握りしめていただけますか?
MOLp:えっ!? すごい! みるみる柔らかくなっていきますね。
西川:人間の体温がシートに伝わると、柔らかくなる仕組みです。シートが手のなかでとろけて、肌にフィットしていくような感覚がありませんか?
MOLp:たしかに。やさしくホールドされている感じですね。
西川:HUMOFITには温度依存性があり、温めると柔らかく、冷やすと硬くなります。また、いったん変形しても常温になれば緩やかに元の形状に戻っていく。つまり、形状記憶の機能も備えているんです。この特殊な素材は、さまざまなプロダクトに応用できると考えています。HUMOFIT自体は誕生して間もないので、採用事例がまだまだ少ないのですが、社会実装に向けて多くのプロジェクトを推進しています。
HUMOFITの温度依存性を紹介した公式動画。動画制作はquantum
MOLp:たとえば、どんなプロダクト化を想定していますか?
西川:素肌に触れる下着や洋服はもちろん、帽子、靴、椅子、寝具など、生活するうえで人と接するものならすべて対象になります。ですから、スポーツ用品などにも展開できますね。ゴルフクラブやテニスのラケット、釣竿のグリップ部分などに使用することで、フィット感を高められるかなと。ほかにも、ヘルメットやヘッドフォン、マスク、VRゴーグル、時計のバンド、義手、義足などにも活用できると思います。
MOLp:かなり幅広いですね。すでに商品化された事例はあるのでしょうか?
西川:ワコールさんの「とろけてバストになじむブラ」という商品に採用いただきました。産後の女性は授乳前後でバストのボリュームが変化します。そこで、カップの上辺にHUMOFITを入れることで、ブラジャー自体がサイズの増減に応じて変化し、体にフィットする仕組みをつくりました。
また、アパレルブランドのCLOCHEさんにはパンプスの中敷にHUMOFITを採用いただいています。履く人の足に合わせて変形するので、オーダーメイド感覚の靴になると好評ですね。
ほかにも、商品化はまだですがHUMOFITを使ったベルトも試作しています。これなら食後にお腹が膨れても苦しくなりません。時間が経ってお腹がこなれてきたら、それに合わせて縮むので、わざわざベルトの穴を変える必要がなくなります。
「使い方がわからない素材」が「面白い素材」になった瞬間。きっかけは営業マンのひらめき
MOLp:そもそもHUMOFITは、どんな経緯で生まれた新素材なのでしょうか?
西川:三井化学がもともと技術として持っていた素材なのですが、単品で使うことは想定していませんでした。というのも、人間の体温程度で柔らかくなってしまう材料なんて、工業的に使い物にならないのではと考えていたからです。ですから単品ではなく、別の材料に加えることで機能を上げる添加材として展開していました。
MOLp:そんな「使い方がわからない素材」が、注目の素材に変わったのはなぜですか?
西川:きっかけは、添加材としてこれをBtoB向けに売り込んでいた営業マン(MOLpメンバー・村上)のひらめきでした。彼は、体温でかたちが変わるユニークな特質にかねてから可能性を感じていたようで、関連会社の工場に材料を持ち込んで成形を依頼していたんです。材料を受け取った工場現場の社員も、職人気質で好奇心が旺盛なタイプだったため、手が空いた時間につくってくれたそうで。そこで、先ほど触っていただいたものとほぼ同じ試作品のシートが完成したと。
それで、私が出席した別の会議中に「こんなのできたんだけど……」と、会議に参加しているメンバーみんなにその試作品を紹介してくれたんです。私自身、手にした瞬間に衝撃を受けました。そのときは、具体的な用途までイメージできませんでしたが、これはすごく面白い素材だな、と強烈な印象で。
MOLp:その面白さに新たな可能性を感じたと。
西川:大げさかもしれませんが、雷に打たれたようでした。ただ、そのときは人肌で柔らかくなる点よりも、変形したあとにゆっくり戻っていくところが面白いなと思っていたんです。ですから、最初は「形状記憶シート」という名前で呼んでいました。
他社の素材よりも断トツで魅力的だった。quantumとの出会いと協業の経緯
MOLp:そこから西川さんが主体となり、本格的な開発がスタートしたのですね。
西川:そうです。用途はまだわからないけど、この面白い素材を世に出してみたいと考えました。そこで、まずは特許を出願し、他社の素材メーカーも集まる大規模な展示会に出してみたんです。多くの人に触ってもらい、体験者の声を聞くことで、何かヒントが見つかるのではないかと。
その展示会で気づかされたのが、形状記憶よりも「人が触るとフィットする」という点に関心を持つ人がすごく多かったことです。さらに、その場でブランディングのプロフェッショナルであるquantumの門田さんに出会いました。あれはたしか、2019年に汐留で開催された展示会でしたよね?
門田慎太郎(以下、門田):そうです。ぼくらquantumはブランディングだけではなく新規事業づくりを専門としていて、プロダクトのデザインも手掛けているので、素材のリサーチも兼ねてその展示会にうかがっていました。三井化学さんのブースで大々的に展示されていたシートを触ったときは、本当に驚きましたね。なんて面白い素材なんだ、と。
門田:その展示会では、ほかにもさまざまな素材を見て触ってまわりましたが、断トツで可能性を感じたのが三井化学さんの素材で。この素材なら魅力的な商品をたくさんつくれるんじゃないかと思い、その場で西川さんと名刺を交換して「ぜひ一緒に面白いものをつくりましょう」とラブコールを送ったのを覚えています(笑)。
後日、西川さんのほうからご連絡をいただき、ただの「形状記憶シート」としてではなく、もっと素材自体の魅力や価値を高めて発信していきたいとご相談いただきました。それで素材自体をブランディングすることになったのです。