PROJECT DIARY

炭鉱電車の「音」を素材に。Seihoとプロジェクトチームが語る制作秘話

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福岡県大牟田市。「三池」と呼ばれていたこの一帯は、日本で始めて石炭が発見された場所でもあります。その後、炭鉱の街として栄えた三池で、100年以上にわたり活躍した「炭鉱電車」が2020年5月、その歴史に幕を下ろしました。

そんな歴史ある鉄道への敬意と感謝をかたちにするべく、始動したのが「ありがとう 炭鉱電車プロジェクト」。ありし日の炭鉱電車の姿を「音」や「映像」で記録し、みんなで共有できる資産として残そうという試みです。炭鉱電車が走るガタンゴトンという音や、カンカンカンという踏切の音などさまざまな音を録音し、誰でも二次利用できるように音源データを一般公開。そして、その音の素材を使って、トラックメイカーのSeihoさんが楽曲を制作しました。

今回は、プロジェクトを主導した三井化学の松永有理(MOLp メンバー)をはじめ、Seihoさん、ブランデッドオーディオストレージSOUNDS GOOD®代表の安藤紘さん、そして、現地の三井化学 大牟田工場のスタッフである浦田秀雄にお話をうかがいました。「音」を資産化するこのプロジェクトで、それぞれが得た気づきと、炭鉱の街にもたらした影響とは?

※本取材は、マスク着用やソーシャルディスタンスの確保を徹底するなど、コロナウイルス感染拡大防止策を施したうえで実施しています。

取材・執筆:榎並紀行(やじろべえ) 写真:玉村敬太 編集:吉田真也(CINRA)

炭鉱電車の記憶を「五感」で残したい。プロジェクトが始動した背景

―まずは、炭鉱電車の歴史から教えていただけますか?

松永:旧三池炭鉱専用鉄道のはじまりは、1878年に石炭を搬出するために敷設された馬車鉄道です。その後、1891年から蒸気機関車が導入され、1909年に電気機関車の運行がスタート。1964年から1972年までは、旅客の輸送も担っていました。1997年に三池炭鉱が閉山したあと、一部の区間を三井化学の専用鉄道として引き継いで運行してきました。しかし、原料の配送ルートが変わることになったため、2020年5月をもって廃止することになったのです。

三井化学株式会社 コーポレートコミュニケーション部 松永有理
実際の炭鉱電車。独特な赤い色は、鉄道ファンから「三池マルーン」と呼ばれている

―地元の人にとってはかつての生活の足でもあり、街の風景の一部でもあった。とても、愛着のある電車だったようですね。

松永:「昔乗ったことがある」「家の前を走っていた」とおっしゃる方は大勢いますし、電車が走るガタンゴトンという音や、警鐘のカンカンカンという音が目覚まし代わりになって、生活のリズムをつくっていたという声もありました。また、子どもたちの間では「炭鉱電車に勝てば一人前!」と、競争したりしていたそうです。地元の方々にとっては、とても身近な存在だったのだと思います。

―だからこそ、資産として残す価値があると。

松永:はい。地元で愛されてきただけでなく、日本全国にファンがいる鉄道でもありましたから。それに、車両を修理しながら100年以上にわたって運行し続けることは、愛と情熱、技術力がないとできません。

三井化学としても、その歴史を「ただ廃止するだけ」で終わらせてしまうのは忍びないと思いました。車両そのものを残すのは難しくても、何らかのかたちで未来へのレガシーにできないかと。そこで、炭鉱電車の記憶を「五感」で残すことを考えて始動したのが、「ありがとう 炭鉱電車プロジェクト」です。炭鉱電車の「音」や「映像」を記録し、資産として未来につなぐ取り組みですね。

「音の資産」プロジェクトでは、炭鉱電車にまつわる音をASMR音源としてアーカイブ。音源は誰でも聞くことができ、誰でも無償で使用することが可能(※要申請)

映像では「風景の資産」プロジェクトとして、映画監督の瀬木直貴氏がメモリアル動画を2作品制作。この動画は、『紅い恋人 〜炭鉱電車に捧ぐ〜』

「音」のプロが集結。現地の雰囲気と地元民の温かさも楽曲のヒントに

―同プロジェクトの企画のひとつ「音の資産」に取り組まれたのが、今回お集まりいただいた、SOUNDS GOOD®の安藤さんとSeihoさんというわけですね。

松永:はい。「音の資産」では、走行音や警鐘の音など、炭鉱電車にまつわるさまざまな「音」を記録しました。音を聞くことで、炭鉱電車もそうですが、街や個々人の記憶を思い出してもらえるような、記憶の「トリガー」になる施策ができないかと思って企画しました。このプロジェクトを企画した当初、実現するために必要な協力者を考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが安藤さんでした。

―安藤さんは2019年に、「音」の資産を活用して企業などのブランディングを行う「SOUNDS GOOD®」を設立されています。松永さんは、もともと安藤さんのお仕事をご存知だったのでしょうか?

松永:はい。面識はありませんでしたが、SOUNDS GOOD®のことは知っていました。企業がもっている個性を「音の資産」として価値化する安藤さんのお仕事は、このプロジェクトにぴったりじゃないかと。ぜひ一緒にやりたいと思い、安藤さんに相談してみたところ、快諾してくれました。

目的とコンセプトを説明したところ、それならいろんな音を組み合わせて立体的な楽曲を生み出すSeihoさんに制作してもらうのがいいんじゃないかとご提案いただいたんです。

炭鉱電車にまつわる音の素材を活用して、Seihoさんが制作した楽曲『Sampling - “MITSUI CHEMICALS on SOUNDS GOOD”』

―安藤さんは、なぜSeihoさんが適任だと思われたのですか?

安藤:まず、ぼく自身がSeihoさんのファンだったので、一緒に仕事してみたかったというのはあります。そして何より「なくなってしまうものを未来へ残す」というテーマを、ちゃんと感じ取ってくれる方だと思ったので。Seihoさんなら、そこに関わる人々の想いまで解釈してアウトプットしてくれるだろうなと。

実際、Seihoさんは現地での録音にも参加してくださり、廃線前の電車にも乗っていただきました。そこで受け取ったさまざまな想いが、楽曲にも反映されていると思います。

SOUNDS GOOD® 代表の安藤紘さん

―Seihoさんは現地へ行ったことで、何か感じるものはありましたか?

Seiho:もし現地に行かずに電車の音源だけもらっていたら、このプロジェクトに対する思い入れも、いまとはまったく違うものになっていたでしょうね。今回は2日間かけていろんな音を現地で録音しましたが、その合間に駅舎で働いている人たちの会話を聞き、廃線を惜しんで写真を撮りにきた地元の人の姿を見ました。

そこで、この炭鉱電車がいかに愛されてきたかを体感することができた。街を歩いて、大牟田のいろんな風景を見られたのも大きかったですね。現地の雰囲気や人の温かさに触れたことも、楽曲制作をするうえでのアイデアにつながったと思います。

Seihoさん

それぞれが好きな炭鉱電車の音とは? 現代では珍しいマニアック音源の数々

―Seihoさんは楽曲を制作する際、まず頭のなかで映像を組み立て、そこから音を想起していくとうかがいました。今回も、実際に街を見ることでインスピレーションが得られたと。

Seiho:そうですね。たとえば、ぼくらは走行する電車に乗り、より近くで走行音や踏切のカンカンカンという警報器音を聞いていましたが、沿線に暮らす人たちは距離があるぶん、聴こえ方がまた異なるはず。

沿線にあるあの家の窓からは電車がどう見えるのか、あの踏切に立つとどんなふうに音が聴こえるのか、朝と夕方とで音の感じ方がどう変わっていくのかなど、イメージを膨らませていきました。こうしたイメージは、楽曲を制作するうえで大きな手がかりになりましたね。

―SOUNDS GOOD®のウェブサイトなどで公開されている炭鉱電車のサンプリング音源を聴きましたが、電車の音と一口に言っても、じつに多様ですね。そのなかで、みなさんが特に好きな音や、印象に残った音を教えていただけますか?

松永:ぼくが好きなのは「砂かけ点検」の音ですね。ブレーキの効きをよくするために線路に砂をかけるんですけど、その「シュー」という音がなんだか心地いいです。Seihoさんの楽曲にもこの音源は採用されていますので、ぜひ見つけていただきたいです。

砂かけ点検 〈MIIKE RAILWAY (1891-2020) ISSUE〉

安藤:ぼくは「手動の線路切替レバー」の音が好きです。線路の切り替えを行う巨大なレバーがあって、テコの原理を使い体全体で動かすんです。「ガッシャン」と、とても重たい音。あらかじめ録音するものは決めてから現場入りしたのですが、その「手動の線路切替レバー」は当日に現場の方から「こんなのもあるよ」と教えてもらって、追加で録音することになりました。現代では珍しいものですし、音としても面白いので録音できてよかったです。

仮谷川操車場の手動線路切替レバー 〈MIIKE RAILWAY (1891-2020)ISSUE〉

―Seihoさんはいかがですか?

Seiho:ぼくは「踏切の警報器音」です。デジタルではなく、鐘を叩くようなカンカンカンっていうアナログな音。リズムも一定ではなく不規則で、どこかレトロ。踏切の音って「警鐘」だから、普通はあえて不快に聴こえる音質にするらしいんですけど、あの音はとても心地よくて印象的でした。

東泉2号打鐘式踏切〈MIIKE RAILWAY (1891-2020)ISSUE〉

Seiho:この警報器音は絶対に使おうと思って、帰りの電車のなかではすでに、この音と線路を走るガタンゴトンという三連符を組み合わせた楽曲のベースができあがっていましたね。

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