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海洋プラスチック問題のカギは「磯の香り」?
上田麻希が嗅覚アートに込める想い

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私たちの生活に溶け込みながらも、普段あまり意識されることのない「匂い」。その匂いを感じとる「嗅覚」に注目し、アートの世界に革新をもたらしてきたのが、「嗅覚アーティスト」の上田麻希さんです。

2005年にオランダで活動をスタートし、約20年にわたり嗅覚をテーマにした作品を生み出し続けてきた彼女は、2024年12月、「令和6年度文化庁長官表彰」にも選出されました。現在は沖縄県・石垣島を拠点に、「匂い」を通じた独自の表現を追求しながら創作活動を続けています。

今回上田さんを訪ねたのは、『あのプラスチックおいしそう - マイクロプラスチックの匂い - 』という作品がきっかけ。DMS(ジメチルスルフィド)を手がかりに、海洋プラスチック問題を「嗅覚」という視点からとらえ直した作品は、どのように生まれたのか。そもそも、なぜ嗅覚アートに注目したのか。石垣島のアトリエで話をうかがいました。

取材・執筆:橋爪千花 写真:東里明斗 編集:川谷恭平(CINRA)

2025年1月、上田麻希さんが活動の拠点にする石垣島を訪ねた

キッチンが実験室に。1日3回の料理から生まれた嗅覚アート

MOLpチーム(以下、MOLp):嗅覚アーティストとして、2024年12月に文化庁長官表彰に選ばれた上田さん。もともとはメディアアートを学ばれていたそうですが、そこから嗅覚をテーマにした活動へと発展した経緯から教えてください。

上田麻希(以下、上田):私が学んだメディアアートは、単に最新技術やデジタルを使うアートのみならず、マスメディアという平面的な情報を超えて、よりインスタレーション的な方法で問いかけるメディアとしてのアートでもありました。そのため、デジタルとは対極的な「五感」についても平等に学ぶ機会があったんです。

本格的に嗅覚と向き合い始めたのは、出産がきっかけでした。当時はオランダに住んでいたのですが、子育てをしながら何か活動をしたいと考えたときに、妊娠中に最も敏感になった「嗅覚」に着目しました。

嗅覚アーティストの上田麻希さん

MOLp:嗅覚をテーマにした作品づくりを始めた当初はどのように試行錯誤していたのですか?

上田:まずはキッチンで実験することから始めました。アーティストである以前に、主婦として一番長く過ごす場所でしたから。じつは、料理って匂いで遊んでいるようなものなんです。毎日3回、キッチンに立つ時間が、私の作品づくりの時間となりました。試行錯誤を重ねながら、さまざまな香りを抽出する日々。小さな積み重ねが、いつかアート作品になるという確信がありました。

そして周囲から評価をしていただき、期待に応え続けた結果、今回の表彰にもつながったんだと思います。

「嗅覚はメッセージを届けるには最悪の手段」

MOLp:嗅覚アーティストとして活動するなかで、香りや匂いにどんな面白さを感じていますか?

上田:活動初期にオランダで制作した「日本の匂い」の展示がとても印象的になりました。炊きたてのご飯や桜の花びらなど、日本らしい香りを透明な液体に閉じ込めた作品です。特に味噌汁の匂いは、私にとっては懐かしく、空腹にさせるような匂いを忠実に抽出できたと思っていました。

でも、その匂いを嗅いだオランダ人が「これはうちの地下室の泥水の匂いのようだ」と言ったんです。衝撃的でしたね。

オランダ王立美術大学で嗅覚を教えていたときの教科書

MOLp:同じ匂いでも、感じ方が全然違うんですね。

上田:そうなんです。嗅覚は言語を介さずに直接何かを伝えるものだと思っていました。でも実際には、「嗅げているのか」「何を嗅いでいるのか」といった解釈には言語が必要で、記憶や文化、好みといった個人的なバイアスが大きく影響する。考えてみれば、万人が同じように受け取る匂いってないんですよね。

私はそのとき、「嗅覚は、メッセージを届けるには最悪の手段だ」と気づきました。でも、そこが面白いと思ったんです。

MOLp:その気づきが、作品にも影響を与えたのでしょうか?

上田:ええ。そこから作品のかたちががらりと変わりました。それまでは「香りの展示」だったのですが、もっと能動的に嗅覚を使って、気づき、知る。そんな「嗅覚のための空間展示」にシフトしました。そうして生まれたのが、代表作の1つである「嗅覚のための迷路」です。

「嗅覚のための迷路」。嗅覚だけを頼りに空間を動き回るように設計されている
(©︎Rogério Cassimiro for Japan House Sao Paulo)

石垣島で「嗅覚の大先輩」とともに生きる

MOLp:現在、石垣島を拠点に活動されていますが、オランダから移住されたきっかけや、国内外で活動しながらも石垣島での生活を続ける理由を教えてください。

上田:オランダで嗅覚アーティストとして活動しながら子育てをしていたとき、ひどい喘息を発症してしまい、匂いを仕事にするのが難しくなりました。そこで帰国を決意したのですが、ちょうどその時期が6月。日本で唯一、梅雨が明けていたのが石垣島だったんです。そんなちょっとした理由で移住しました。

MOLp:石垣島への移住は偶然だったんですね。

上田:そうなんです。忙しいときは、月の半分も島にいられないこともありますが、島にいるときはアトリエで創作活動をしたり、観光客向けに、「月桃(げっとう)」という島のハーブを使った島独特の香水づくりのワークショップを開催したりしています。

東京や海外で受ける刺激や得る情報は、アーティストとしては不可欠ですが、島もまた、根強く残る文化の面白さや人々の温かさがあり、ここでの時間も私にとって大切なものです。

豆柴のちよこ

上田:そして何より、パートナーの豆柴・ちよこは嗅覚の大先輩です。犬にとって嗅覚は、生きるうえでもっとも重要な感覚。視覚や聴覚以上に、匂いで世界を判断しているなと感じます。小さなアトリエで、人も犬もくんくんと匂いを嗅ぎながら過ごすこの生活が、いまの私には心地良いと思います。

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